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(株)三栄書房
「ブラストライブ」 2007 Vol.03 (定価 952円 + 税)
誌内「J,マイケル伝説を追え!」にJ,Michaelの特集記事が掲載されました。(P112〜P113)

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Jマイケルは天使? /Fシングルホルン バルブトロンボーン ひとりの男の人生を救ったポケトラ 啼鵬さんとJマイケル スペシャル/ YOKANさんがオーボエにチャレンジ トランペット - 川嵜淳一さん トロンボーン - はぐれ雲永松さん バリトンサックス - TPOの武田和大さん TPOのメンバーからJマイケルへ 番外編 チェロを弾いてみよう Jマイケルのフレンチホルンと木村さん(東京佼成) ブラスタ「放課後プロジェクト」を応援するぞ 学校応援プロジェクト 学校応援プロジェクト マーチングブラスが熱い。







Jマイケル伝説を追え!


ボクの名前はジョン・マイケル。イギリス生まれ、名古屋育ち?の「音楽の精霊」みたいなもの、と想ってくれれば結構。イギリスにいるころは、ちょっとは知られた存在だったんだけど(本誌第一号参照)今では中国生まれ、名古屋育ちの楽器のブランドとしての方が有名なんだ。なんとなく不思議な気分。手頃な価格で高品質、といわれているけど、時には「やっぱり中国製は…」という声も聞く。だけど時には、こんな「素敵な話」だってあるんだよ

ひとりの男の人生を救ったポケトラ

 今やボクの名前を冠した管楽器は金管木管の主要な楽器のほとんどにわたっているけれど、もっとも人気の高いのはポケットトランペットだ。「ポケトラ」という愛称で、最近はいろんなところで注目を浴びている。もちろん普通のトランペットと同じマウスピースが装着可能。プロでもプライベートな旅行の際にこれをしのばせていって、旅先で口ならしをしておく、なんて話はよく聞く。確かにこの大きさなら、旅行鞄の片隅にいれておいても邪魔にはならないね。しかししょせんはその程度の「代用楽器」、普通のトランペットと比べてと、はっきりいって音量も音質もかなわないのだけれど、ステージ吹けばそのスタイルがウケるからラッキー!という感じがあるね、というのがこれまでの「常識」だった。まあ、誰もメインには考えていなかった、というわけさ。
  ところが最近、これをメインに使うヒトが増えてきた。専門職以外でもポケトラファンは多い(日本が世界に誇る「手数王」として知られる菅沼孝三氏は、ディジュリドゥとともにポケトラも楽しんでいる)。専門職?でも、かつてドン・チェリーはカリキオのポケトラで独自の世界を切り開いたし、テッド・カーソンあたりは4本ピストンのポケトラを吹いている。時々「ピッコロトランペット」と勘違いしているムキもあるけど、ポケトラは普通のトランペットと同じ音域だから誤解なきよう。
  しかしそういう方々は例外的であり、一般に「専門職」のみなさんはポケトラを真面目に仕事で使おう、とは思っていないもの。しかし、ボクはここでひとりのオトコを紹介したい。
  仮にその名をひとまず「Kさん」としておこう。Kさんはかつてプロとして活躍していた。運動万能少年だった彼は、中学入学時の歓迎演奏で聴いた「ロシアより愛を込めて」のトランペット・ソロにてしまった。「こっちの方がモテるかな?」と、運動万能だった彼は比較的カルいノリで?運動部から吹奏楽部へと一気に志望を転換。しかしそれが性に合っていたのだろう、そこから一気に音楽にのめり込み、武蔵野音楽大学に合格したものの、一般教養をやる時間がもったいない!と、大学を蹴って練習時間の多い専門学校の門を叩く。  当時はクラシックを目指していたのだが、2年生の時に耳にしたルイ・アームストロングの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」に衝撃を受け、ジャズへと急激に方針転換。クラシックはまったく聴かなくなった。当時日本一と称されていたバンジョー弾きM氏に見い出され、晴れてプロデビュー。その後も精進は続き、本場ニューオリンズを訪問した際には現地で絶賛され「日本に帰るな(こっちに残れ)」といわれるほどの実力を発揮するまでになったのである。


ステージが恐くて、アルコール依存症に…

 往々にしてあり得ることだが、芸術家としての人生に必要な「繊細な神経」は、それをのっけて運ぶ肉体を傷つけてしまうことがある。Kさんは、極度のあがり性だった。耳はよかったから、先人達の素晴らしいプレイをそのまま覚えることができたし、それを自分なりに解釈し、吹きこなすことも楽々だった。が、同時にステージにたつことが恐かった。自信がある、ない、という、アマチュアが理解できるレベルの問題ではなかったのだ、と思う。緊張の余り嘔吐を繰り返すKさんをみかねて、師匠(ボス、とKさんは今でも師をそう呼ぶ)は酒をすすめた。酒は、確かに緊張を解きほぐし、ほろ酔い気分がすばらしいインスピレーションを与えてくれるかのように思えた。
  適度な酒は確かに「薬」かもしれない。しかし、研ぎすまされた精神には「毒」以外の何ものでもなかった。酒が酒を呼ぶ生活。音楽が、仲間が、そしてあれほど好きだった楽器自身が、自分を攻め立てるように感じてきた。朝起きて、起き抜けの水がわりに焼酎を生で呷っている自分に気付いた時は、もう遅かった。酒が酒を呼び、錯乱したKさんはある日、自らの唇を裂いた。感覚はなかったから痛くはなかったが、事実上喇叭(らっぱ)は吹けない。しかたなくピアノを弾き始めたKさんの「異変」に気付いた師匠は、帰って休め、と引導を渡した。長い休養が始まった。酒=音楽だったKさんは、酒と同時に楽器も封印してしまったのである。折悪しく、家が火事に見舞われた
。愛器もレコードも、一切合切が文字どおり燃えて溶けて消えた。苦しいだけの闘病の日々が続いた。
  しかしある時、ショッピングセンターの楽器屋の店先に並んでいたボクのポケトラを見つけたのが再起のきっかけになる。


普通の楽器にはない、ポケトラならではの個性がKさんを救った

 音色が犠牲になるのであれば、楽器としての意味はない。それまで使っていたバック7EWでは、ポケトラには合わない。もっと深い10-1/2Aを選び、吹いてみると独特の音色が味わえることに気付いた。音程にはやや癖があったけれど、それはコントロールできる範囲だった。ベルが小さく、顔に近いのもよかった。トランペットとはまったく「別の楽器」として楽しめる、ということに気付いた時、ぱっと世界が明るくなったかのように思えた。ちょっととぼけたような音色もよかった。叫ぶようにはりさけるように、ではなく、やさしく喋るようにアドリブができる。
  これだ、と思ったその瞬間、酒を呑もう、という気持ちが一滴もなくなった。Kさんは今、かつての師匠のファンがやっているアマチュアのバンドから誘われ、リハビリをかねて演奏活動を再開している。かつてのプロからの「誘い」も舞い込むようになり、ポケトラを手に時折はプロとしてのステージを踏むようになった。音楽との付き合いは蘇った。しかし酒との付き合いは、きっぱりと切れた。仲間が酒の席でどんなに盛り上がろうと、ウーロン茶でつきあうことが出来た。生活が一変した。音楽は攻めたてるものではなく、自分を、そして人を楽しくさせる宝物だと知った。
  Kさんにとってポケトラは、生涯手放せない「名器」になったのだ。他の人間に吹かせても、それは絶対に分からない。


チェット・ベイカーを「ポケトラ」的と評する作曲家は…

 もうひとり、ボク(J・マイケル)のポケトラに惚れ込んだプロがいる。「啼鵬(ていほう)」さんというそのヒトは、字だけ見るとどこの国の人だかわからないけれど、まぎれもなく日本人。プロのギタリストを父に持ち、東京芸術大学付属高等学校から作曲家の道を志した本格派である。現在は作・編曲家として、また数少ないバンドネオン奏者として、朋友の小松亮太氏とともに第一線で活躍している。「ポケトラが好きな理由ですか?普通のものより、ボクの性に合う。音楽を奏でる時に、ベルが自分の近くにあるせいか、モノローグ(独白)に近い感じがして好きなんです。見た目の面白さもあるし、表現のしやすさがあるから好き、なんですね。たとえばチェット・ベイカー、彼は絶対にポケトラなんて使っていないとは思うけれど、彼の音楽はポケトラ的ですよね…」
  氏はかつて、講談師の神田陽子さんのバックで、普通のトランペットとポケトラを巧みに使いこなし、高座を盛り上げた、という。「日本人は小さいものが好きですよね。ボクもそうです。いや〜、しかしマイケル君のところのものは面白いですね」
  なぜか、気鋭の作曲家はボクに優しい。現在のお住まいは茨城県土浦市。広大なそのスタジオに招かれ、扉をあけたら、さすがのボクも驚いた。なぜなら…
(以下次号)