Jマイケル伝説を追え!
ボクの名前はJ.マイケル。正確にはジョン・マイケル。英国のとある田舎で生まれ育ち、ロンドンでは音楽家としてちょっとは有名だったんだ。もっともその話はもう百年も前のこと。今はボクの名前をつけた管楽器の「精霊」となって、いろんなところに出没してる…
おニイちゃん、
あちきとあそばない?
〜
「はぐれ雲」対ジョン・マイケル?
スタートは「雪国」から…
まだ明け初めぬ早朝、降りしきる雪の中にライトが見える。雪で封鎖された東北自動車道を降り、一般道経由でやってきた夜行バスだ。映画「スウィングガールズ」のファンが集う年一回の集い「東北学生音楽祭」の会場で待ち受けるボクの目の前で、止まった。「わー!やっぱ寒いわ!おー、すっげえ雪!」などとつぶやきつつ、眠い目を擦りながら降りてきた面々の中に、ひときわ目立つ長身&サングラス姿&ひげ。待ってました、自ら率いるファンクビッグバンド「 TPO 」「や、今回幻となった「ブラスフェスタ」でも活躍するはずだった「藤井郷子オーケストラ」のレギュラー陣のなかでもひときわ目立っているトロンボニストの「はぐれ雲永松」さん!
「おっと、やたらめったら説明的な台詞で紹介してくれてありがとうよ(苦笑)。ただしココ(東北学生音楽祭)では俺のことは秘密だぜ、トップシークレット(笑)。今回はオシノビでアマチュアバンドに混じって遊びにきたんだから、ナイショにしといてネ。あとで東京帰ったらエエもん見せたるで(笑)」
けっこうはぐれサン、バスで呑んできたでしょ…最後、なんか関西弁みたいにきこえたけど…まあ、いいか。はぐれサンが「東北…」で大暴れした話は p52 でも紹介されてるし… あれ?でもその楽器、ひょっとしてボクのじゃないですか?
「あれま、よくわかったね! トロンボーンはシンプルなうえに、このプロトタイプはウェイトもロゴもなにもないから、誰にもわからないのでは、と思っていたんだけど… あ、そりゃそうか、君はいわば『血縁者』だから判るのか… そう、これはね…」
こっそりはぐれさんが教えてくれたのは、その楽器がいま開発中の「マイケル版はぐれモデル」のプロトだってこと。
「あとは東京で、ね…」
「へえ、そうなんだ…」
なんだ、せっかくここまで来たのに。
「遊び人」だからこその選択
というわけで、気を取り直して東京へ。はぐれ雲永松さんは、都の西北、じゃない、真西にある「西荻窪」をテリトリーにしている。 TPO や、 TPO レディーズのリハーサルもここで行っているし、最近始めた「 TPO音楽教室」も、西荻窪が舞台となっている。この「 TPO 音楽教室」は、はぐれサンが率いるファンクビッグバンド TPO (言うまでもなく「時 time 、場所 place 、状況 occasion 」をひっかけた言葉だけど、 TowerOf Power をシャレでもじっていたりもする。はぐれサンのオリジナルや独自のアレンジを中心に展開しているビッグバンドで、この音楽教室はそのバンドでやっているはぐれサンのオリジナル楽曲を中心に、プロアマ入り乱れて楽しくすごしている。
しかしそもそも、なんで「はぐれ雲」なんて名前なんだろう?誰も本名とは思わないけれど、例のマンガ(小学館のビッグコミックオリジナルで連載中の、ジョージ秋山原作の長寿マンガ「浮浪雲(はぐれぐも)」)の主人公とどういう関係が?
「どうもこうも、アレそのものなんですヨ」
そのもの?
「そう。この仕事始めた時はもちろん本名(永松賀津彦)だったんだけど、そうねえ、 30 ちょっと前くらいの時にふとあのマンガを思い出して『ああ、一生あんな風な遊び人でいきたいなあ』と思ったわけ」
…なんと…「遊び人」ですか。
「不真面目だと思う?普通思うよね(笑)。でも、ちょっと真面目な話をすれば、一生遊んで暮らせたらいいな、と思わない人はいないよね?」
そりゃそうです。だけど現実は…
「そう、現実はそうはいかない。だからこそ、あえてそう言いたいんですよ、『遊び人で行こう』とね」
…なるほど。わかったような、わからないような…
「それが人生ってもんだよ。なんでも判ろうとするからつまんなくなっちゃう。キミんところの楽器もね、実はまだよく判っていないんだ」
…!(ちょっと怒)…で、でも今、スタッフははぐれさんのシグネチャーモデルを一所懸命に…
「わかってるって、まあちょっと聞いてよ。だって、よく知っていなけりゃつきあっちゃ駄目なのかい? そんなこといったら、世界はぐっと狭くなっちゃうじゃん。それよか、出会った瞬間にピン!と来るものを大事にしたいんだよね…」
はぐれさんが語ってくれた J マイケルとの出会い。それは TPOの仲間であるトランペッター川嵜淳一さんが J マイケルのアドバイザーになったことがきっかけだった。
「 TPO のリハーサルの時だったんだけど、打ち合わせに来ていた J マイケルのスタッフの『雰囲気』がなんとも初々しくて、一所懸命いい楽器を造りたい、という気概に溢れていた。その
意気込みが気に入ってね…」
そこで名古屋の本社へ誘われ、工房のスタッフたちにも紹介される。その時も気軽な「遊び気分」で名古屋に足を運んだのだ、という。
「最初はともかく、どんな人が造っているのかみてやろう、というくらいだったんだ…」
スタッフのサイン入り証明書が、うれしい
工房には、若いスタッフが熱心に、中国の工場から到着したばかりの楽器たちと格闘していた。なにをしているのかじっと見ていたら、すべての楽器を細部に至るまで分解してチェックし、そして再度組み直すのである。これなら最初から造っているのと同じじゃないか…と、はぐれさんは思った。
「例のギョーザ騒ぎの最中だったから、すごく印象的だった。食い物と楽器はもちろん同列には扱えないけど、これなら信用できる…というか、ここまで熱意を込めてチェックしている、ということにすごく感動したのね」
はっきりいって中国製の楽器は、まだプロが使うレベルには到達していない。しかし、いずれなにかを造り上げてくれそうな予感が、そこには溢れていた、と、はぐれさんは語る。
「だから契約して、川嵜氏ともども、よりよい楽器になるようにアドバイスをしていこう、と決意したわけ。だって、すでに名器といわれているものに今からいくらお世辞やおべんちゃらを重ねたところで、面白くも何ともないでしょう?それより、まだ未知数の楽器を、すごくいいものに仕立てていくって面白いじゃない?」
それも遊びなのだ、と。はぐれさんは言う。
「遊びっていうと、マナジリをつりあげて『不謹慎』という人がいるけど、それなら不謹慎で結構。言葉だけで判断するなら、ずっとそうしていればいい。それでいいものができるなら、ね」
心から楽しく「遊ぶ」ことこそがものを造る、というのが、はぐれさんの信条なのだ。
「最近 J マイケルは、すごくいいこと始めたんだよ、知ってるでしょう?」
あ。ええと、実はボク、いろいろと忙しくて…
「知らない? こういうものだよ」
と、はぐれさんが見せてくれたのが一枚の証明書。見れば、 Jマイケルの楽器を出荷前に責任を持って調整したのが誰か、と
いうことがはっきりわかる署名がしてある。これがどの楽器にも一枚づつ入っているのだ。
「ね。原産地表示義務だとか賞味期限とか、流通の世界にはいろいろムツかしいことがあるんだけど、こと楽器の世界ならばこれが一番いいわけじゃない。中国はなにかと最近評判が最悪だけれど、有賀さんから聞いたところに寄ると楽器製作にたずさわるメンバーはみんな真剣に新しい技術を学ぼうとしているんだ。その上に、日本の技術者たちが責任をもって出荷している、という心意気がいいじゃない。スーパーの野菜も最近は『私が造りました』みたいな、写真入りの表示があるじゃない(笑)。あ、そうだ、この雑誌でもさ、毎回 J マイケルの楽器を調整した人の写真をどーんと公開したらいいんじゃないの?」
こんなふうにですか?(写真入れる)
「そうそう。買った人がもしその楽器についてなにか思うところがあったら、直接彼または彼女に連絡すればいいわけだから」
なるほど。
「たとえば今、俺の楽器を手がけてくれている有賀(あるが)君は、元プレイヤーだっただけあって、楽器のことはもちろん、プレイヤーの気持ちもよくわかってくれるんだよ。今度の楽器は小さめのベルをもった細管で、外装でも遊んでみたい。そんなこっちの思いを汲んで、いろんな提案をしてくれるんだ。おそらく次号では正式なカタチをお見せできるんじゃないかな」
こっそり教えてくれたところでは、 KING の 2B 相当のサイズで、こういったタイプはわりとソフトな吹き方のジャズミュージシャンに愛用者が多いのだけれど、はぐれサンはなんとそのボディをピンクに染めあげる、そうだ。
「色はシャレ(笑)。でも、スライドのつくり(先端のテーパーも含めて)など、かなり細かいところにこちらのこだわりを活かしてもらったんです。有賀、やるな、アルガトウ!という感じで(笑)。こういう楽器造りも、やっぱり『遊び』だと思えないかな? いい楽器造るのって、最高の遊びだと思うよ」
そして、はぐれサンは J マイケルの「証明書添付」も、高く
評価してくれた。
「楽器は単なる物体だから、遊ぼうと思ってもなかなか堪えてくれない時がある。そんな時には頼れる仲間が欲しいものだけれど、なかなかそういう人は身近にいないよね?だったら、 Jマイケルの楽器をあけてカードの署名をチェックして、彼または彼女に連絡してみるといい」
もちろん仕事の都合もあるから、電話はほどほどにね、と、はぐれさんは、この時だけ真顔で付け加えた。
「彼らが電話相談係みたいになっちゃうと、俺の楽器がいつまでも仕上がらないじゃんか(笑)」
(続く) |